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いつも+2004年から頭頸部がんで3回,
乳がんで1回入院し, 手術/放射線/抗がん剤の3大療法, +後遺症で内視鏡手術を体験. 先輩患者のブログに感謝. Hokusetsu-Navi
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------------------------------------------------------------------------------------- 病院,患者会,治療|私の多重がん体験|星への手紙|車椅子の看護師|風景と情景 ------------------------------------------------------------------------------------- 放射線治療の後遺症
ようやく8月が終わって、暑さもひと段落。 ちょうど15年前の今頃は最初の退院後で、職場復帰に向けて準備していた頃。
主治医は退院後は1月程度で普通の生活ができると言われたので、 専門学校の後期授業に向けて、授業計画などをしていたと思う。
その頃は放射線治療が終わったばかりで、後遺症の事などあまり考えてもいなかった。 ちゃんとがんが治癒できるかどうかだけが気がかりだった。 ただ、入院仲間の話では、「放射線は退院後の10年たっても効いているらしい」とのことだった。
骨がジーンとしびれている後遺症も、5年程度で治るだろうと思っていた。 ところがどっこい、その後転移や多重がんを経て、15年も経過したのに、 腫瘍が上顎洞にできていたので、左上顎(頰のほぼ中央部)にかけられた放射線の影響は一向に軽くならない。 それどころか、頭全体が重く鈍痛があった時より、範囲は少し狭まっているが、 痛みは強く感じる。
重症になったというより、ある意味治ってきてるのだろうが、頭部全体の鈍痛だったのが、 ああここに放射線をかけたのだなという、一点を中心に顔の半分ぐらいに痛みがある。 全体にぼやっと重痛い感じとどっちが良いかわからない。
もっとマシになってくれないかなと、思いながら、Blogを見直していたら、 特に自分を励ましてくれた記事をメニューのようにしたくなって、 あまりデザイン的には良くないが、ブログの上部に表示されるようにした。 ------------------------------------------------------------------------------------- 左の治療経過は、自分の病気に関しての記事だが、 その他は勇気付けられたブログやYoutubeへのリンクです。
他の方のブログに出会えて本当に良かった。 ただ実際に出会う事ができなかったのは、本当に残念だけれど。
[追記]2023.1.4
その後、JUGEMに広告を入れられなくなって空白ができたこともあり、常時見返したいブログも増えたため、ブログ全体の上部と記事欄の上部に、時々見返したいページ・カテゴリー・ブログなどへのリンクを入れています。
前頭洞嚢胞開放手術
1月28日に入院し、2月5日に退院しました。8日間の別荘避難です。手術の名前は先生からは、特に教えてもらいませんでしたが、「前頭洞嚢胞開放手術」だろうと思います。何か固い名前で説明せずに、おでこの中の空洞に少し道をつけるような手術、というソフトな説明でした。12年ぶりに大阪府立成人病センターにカムバックです。昔からの看護師さんや、先生がおられたので懐かしかったです。建物はとても古くて、最初に来た時は「見ただけで気が滅入る」という感じの建物でしたが、慣れるものですね。
手術は入院日の次の日で、手術室まで歩いて行って「はい気分がぼやっとしますよ」と、言われたところまでは覚えているが、イチコロに麻酔が効いて気づいた時は、元のベッドにいました。 今回の入院で感動したのは、食事が劇的に良くなっていた事でした。 もっと他の事も感じなかったのか?!・・・いえ、癌そのものと、まさに闘病中の方が多いわけなので、いろんな事を思いましたが、それはまたボチボチと書くつもりです。 とりあえず、患者を元気づけるには食事!業者が変わったのか、厨房責任者が交代したのか、判りませんが改善ではなく、チェンジという感じを受けました。果物一つでも缶詰ではなく、フレッシュフルーツというだけで嬉しい。 MRIの結果:嚢胞との診断
昨日は成人病センターに息子も付いて行ってくれた。ドキドキしながら主治医の説明を受けると、「嚢胞」という聞きなれないものだった。体液がたまって、それが骨を壊したりするって、普通は思いもしないことだが、おでこの裏側の骨がほとんどなくなっている部分がある(紙のような薄さ)。昨日まで、半分以上は大丈夫(悪性ではないだろう)とは思いながら、やはり最悪の事態もあり得ると気が重かったのは一応解消で、晴れ間が見えた。
でも1月にまた全身麻酔の手術を受けることになり、もともと年末の諸雑事がたまっているのに加えて、事前の検査などが加わって、気分は、ほぼ梅雨空のような状態。大雨ではなくてよかったではないか!と思うものの・・やはり梅雨空にもため息が出る。(認知症で理解できない親族数人から、あれこれ要求があるだろうし)
嚢胞を調べてみて、骨を破壊することもあると解った。 MEDLEY ---引用--- 副鼻腔のう胞とは? 副鼻腔(顔の骨にある空洞)にのう胞が生じ、それが大きくなりながら骨を圧迫したり、壊したりする 以下のことが原因で起こる 感染などの炎症 外傷 手術 手術後発生するものが全体の2/3を占める 残りの1/3は原因不明 経過がゆっくりで、症状が出るのはだいぶ進行してからとなる ---引用終り--- にほんブログ村参加中。よろしければクリックの応援お願いします。 JUGEMテーマ:がん全般 CT検査の結果、再び、まな板の鯉になった。
11月17日(火)診察、直前に撮ったCTで、たぶん左の前頭洞に非常に骨が薄くなって、脳との境界が無いぐらいになってるのを見せられました。骨が無いとしたらどうなるんでしょうと尋ねると、薄い膜のようなものがあるはずとの事。成人病センターにかかって以来、初めてカンファレンス予定(来院不要)も含まれた、詳しい予約票をもらいました。第一回目のカンファレンス後に、別の検査が入る可能性もあるとの事でした。でもそれは無く、無事数日過ぎたので少しは緊急性が少ないのだろうと、安堵。春ごろに、PETに影(光)も写っていたのだが、その次のCTでは異常なしだったので、安心しすぎていた。
2004年春に病気に気づいて初めてのMRIを受けた時、症状のあった左の頬以外に、自覚症状のない右の前頭洞にも、大きな影があった。そのために第一回目の手術時に、左副鼻腔だけでなく、右側の眉の部分の頭蓋骨にも、穴を開けて検査する必要性があった(前頭洞は良性)。今度もそれをして良性でOKかもしれないが、悪性だと目の上の骨を切除する事になるか、放射線治療か・・でも目のすぐそばだし、一度放射線をかけた部位のすぐそばで、可能かどうか・・。12月初めのMRIの後、15日に結果を聞くけれど、、。まな板の上の鯉。または、極刑か、島流しか、特赦かと祈るような気持ち。しかし、いろんな検査方法が発達して、それだけ素早く対処してもらえていると、感謝すべきかも・・にしても10年たてば安心するでしょ?大体は。でも入院中に、13年目に再発という人にも会ったことがある。人生って常に予想の出来ない事と隣合わせだと、しみじみ感じました。
こんなどうしようもない事に出会った時に、1997年3月1日に、長年住んだ家の前であった事件を思い出します。そもそもは誰にも責任はなく、加害者のご主人が難病で亡くなったり、娘婿が突然死されるなどの不運が降りかかり、愛すべき人柄だった主婦が精神に異常を来して、親しい隣人を殺害するに至った。新聞には「2人の間にトラブル?」と書かれたが、お2人の人柄からして、それは的外れ。自分ばかりに不運が重なった、精神的な負担に耐えきれず、爆発した。実家は2人の家の向かいにあったが、そこから引っ越して間もなくの思いがけない出来事で、母は仲良し3人組だった長年の友人を一度に失った。良妻賢母のお手本のような穏やかな方(被害者)は、恐らく何が起こったかわからないまま昇天されたと思う。人生の難題は、自分の注意で避けられたり、解決できる事もあり、それは注意事項や試練と前向きに考えるべきだろうが、訳もなく降りかかるトラブルを不運と言う。 にほんブログ村参加中。よろしければクリックの応援お願いします。 JUGEMテーマ:がん全般
猛暑の診察日でした
猛暑の診察日でした。いつも顎と首の境目のリンパ節が腫れていて、毎回少しだけ大きさや硬さが変わるので、丁寧に診察してもらいます。左側のリンパ節が腫れた時は、コリャイカンと頸部リンパ節郭清手術を受けましたが、右側のグリグリは、その手術後しばらくしてからできました。今回はエコーでも診てもらいましたが、今のところは心配な変化なしということで、次回は10月。
猛暑に負けて、帰りに寄り道してしまいました。「氷」のある喫茶店に。(^_^) | 1/5Pages | >>
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